鏡には何が映る?

寝たのは2時半を過ぎていて、もともと埴輪みたいなお目目がチャームポイントのタワシの目は本日においては誠に切なく細い一本線である。

しかしちゃんと見えているので心配なさらぬよう願いたい。

昨夜のポッドキャストの収録は、なんのトピックもないまま集い、100分ほど話した。

さよならのときは既に夜更け。

特に何かを深く飛行はしなかったのでアップはしないでおこうと思ったのだけれどせっかく2人が集ってくれたのだからアップすることにした。

タワシは今本物の「カッコイイ」に気づき始めている。

例えばみなはんの度肝を抜くようなナイフのように鋭い対話ばかりならばいいが、そんなにうまくはいかない。

カッコイイだけを見せるなら100本に1本くらいしか音声をアップはできないだろう。

しかしタワシの呼びかけに応えてくれて、自分の時間を割いて来てくれた2人の尊さこそタワシは尊重したい。

もしもそこでタワシという人間がつまらないと思われたとしても、それより大事にすべき事があるじゃないか、とそう思い始めている。

そしてその心意気がカッコイイのだとタワシは思うのである。

だから一見カッコ悪いかもしれないカッコ良さを選ぶ強さを持つべく日々の選択を心がけている。

見かけの格好良さを追えば常に不安定だ。

人の心がわかることなんてないのだから。

見透かせない人の心を常に追いかけるようなカッコ良さはカッコ悪くないだろうか。

それよりもだ〜れも気づかなくったって思い返せばいつでもその日の自分を誇れるならば、そっちのほうが100万倍カッコ良い。

それは決して揺るがない。

この歳になってやっと偽物のキラキラした薄っぺらさをつまらんと思えるようになってきた。

それと同時に愚直でがむしゃらなカッコ良さの味わい深さを知った。

さて。

今朝も始発列車を待っていると、左から列車が入ってきて、窓ガラスにタワシとその後ろにずらっと並ぶ人々が映り込んだ。

後ろに人がこんなにもいたなんて今日だけじゃなく、ずっと知らなかった。

というか興味がなかったので、振り向くことすらしなかったのである。

これを無関心と言うんだろうが、タワシはなんとなくなんとなく今朝の一件で無関心に無関心という漢字をあてがう事に違和感が湧いた。

なぜなら無関心とは関心がない故にそれに気づいてすらいないのだ。

知っているけれど、興味がない。

みたいなニュアンスである。

しかし実際の無関心はそれを知りもしないのだ。

それに関して無知なのである。

ニュアンスをこちらに入れ替えるとおそらく世界から無関心は多少なりとも減るのではなかろうか。

誰だって「あなたは無知だ」なんて言われたくないだろうから。

そんな事をふと思った木曜タワシの夜である。

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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