ないものねだりの子守唄

みなはん、コニャニャチワ。

我が家の前のパーキングぅで一見ヤンチャボーイが見ず知らずのタワシを見るなり「おはようございまーす」と言った。

タワシも負けじと「おはよーございまーす」と返した。

こんなにさわやかなフライが訪れるなんて1分前には想像だにしてはいなかった。

今日という日はもともと下駄を履いた日でいつもよりアゲアゲなのはみなはんもご存知だと思う。

しかしこのたったひと言で今日の全てがキレイなリボンでラッピングされたような気持ちになった。

いつもなら、我先にトレインから下車してやる!と鼻息を1.5倍にし、肩を怒っているタワシだが今日に限っては我先ニンゲンに優しく微笑んでなで肩よろしく「どーぞどーぞ」であった。

 

話はコロッと変わるがタワシは自分のものも含めて脱ぎ捨てられた靴がたまらなく好きだ。

誠に顕著に性格が出る。

もしも愛する人の形見を何かひとつ取っておくならば迷わず最後に脱ぎ捨てた靴を床ごと取っておく。

そんくらい好きだ。

人は誰しも一風変わった一面を持っているのではなかろうか。

いや、性格が顕著に出る一面と言ったほうがいいかもだに。

人の性格は指紋レベルで様々だと思う。

うちの会社にはお手洗いを掃除してくださる方が2人いて、タワシは今日はどなたが掃除をしてくれたかすぐに分かってしまう。

補充用の紙で包まれた昔懐かしトイレットペーパーは必ずふたつ、ピタリとくっついてタンクの上に置かれている。

そして正面に来る文字がいつもきちんと「メロ」である。

どこぞの誰かがいつも手で引きちぎったようなトイレットペーパーの切り口は真っ直ぐになっている。

ペーパータオルの補充も四角い箱に隙間なく皺もなくはまっている。

あぁ、今日はあのおばぁちゃんが掃除をしてくれたんだ、とわかる。

そういう誠実な態度にはいつも哀愁が入り混じった感情が込み上げるので、お手洗いへ行くたびにおセンチな気持ちになるのであった。

さて再び話はぶっ飛んで、みなはん昭和歌謡はお好きですか。

タワシは大好きである。

タワシにとってのねんねこしゃっしゃりま〜せである。

つまり子守唄だ。

とくにやはり聖子ちゃんは頂点にい続けて微動だにしない。

アイドルを卒業すると今度はユーミンへと移行するわけだが【DESTINY】はもうなんちゅうか哲学的と言えるのではないだろうか。

【瑠璃色の地球】と並ぶ名曲である。

なんつったって昭和歌謡はメロディアスなので口ずさみやすく覚えやすい。

歌詞においてはアウトなものもあるが時代が違った。

フライの夜長に久しぶりに聴きたくなったあなた、ぜひコチラをポチッとな。

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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