ファイト一発

ミスターFUJIYAMAがめちゃんこビューティフルなモーニングぅなわけで耳がゾワゾワしてしまう。

オヒ〜スレディーのタワシちゃんはオヒ〜スへ向かう橋の途中で、晴れればフゥジヤァマが見えるというラッキーガールである。

フゥジヤァマがパキッとくっきり見えるだけなのになんか得したような、いいことあるような気がするのは我々がジャポネーゼだからだろうか。

しかし12:23、別段にいいことは起きてない。

結局結果はどうでもいいことが多い。

いい事が起きなくとも、悪いことが起きなければまずは良し。

そんで悪いことが起きない上で良いことも起きないなら、いいことある予感がした方が、なんの予感もしないよりも幸せな感情を得るわけだからラッキーガールっちゅうことになるわけだ。

タワシはいつでもラキガー。

現に朝のタワシは自分にラッキーが起きるだろうとウキウキしたのだから。

人間は感情が物質化した感情生物だと思う。

感情の塊だ。

だいたいにおいて真実の手前の感情の部分で既に一喜一憂し、それを結論と勘違う。

だからだろう、自分で想像した分だけ真実に上乗せして喜びはしないが、悲しむわけだ。

タワシもその中のひとりであるが。

実は物事というもんは、結果は手段でプロセスが目的なんじゃなかろうか。

結果なんてプロセスに比べたらクソ、いや、お便だ。

結果など、次の自分をどう成長させるかの手段に過ぎない。

プロセスで何を得るか。

そこがお味噌なのである。

タワシはプロセス・ラグジュアリーでいきたい。

プロセス・セレブでもいいし、工程金持ちだっていい。

とにかくなんだ?

そうだ、がむしゃらだ。

カッコつけて謎めくより、チャレンジングで失笑されるほうが本当はカッチョイイのである。

「富士山が見れたからっていいこと起こるエビデンスはあるわけ?ないよね。そんな戯言を信じるなんてどうかしてるぜ人間」に問いたい。

その証拠とやらは未来でも決して揺らがないというエビデンスがあるのかい?

生き物のなかで唯一、想像できるのは人間だけらしい。

だったら想像しまくれ、タワシ。

カッチョイイかカッコ悪いかくらい

自分で決めろ

ばかものよ

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