留まる

昨日、2年ほど買おうかやめようかとチビチビと考えていた携帯電話の充電器をいよいよ購入した。

届いた充電器の手触りを、昨晩は何度も触ってニンマリしていた。

内容がよくわからんので手触りに満足するくらいしかできなかったのである。

必要のないものを買う時は、ただもうそれが欲しい!から買うので金に糸目はつけないくせに、必要なものは他と比べてどこがどう良いのかをくまなく知りたい。

そして必要なだけで興味がないのでいつも途中で挫折した。

さらにやたらと値段にこだわるのである。

ところがバッテリーの持ちがすこぶる悪く、ブログを書いたり消したりしているうちにあっという間に驚く数字に成り下がるようになり、毎日ドキドキするのに疲れたタワシは呆気なくポチッと購入したのであった。

こうやって必要にせまられて購入したものは愛着はないのに重宝しがちだ。

欲しくて欲しくて仕方なくて、思い切って買ったものは届いた翌日には解熱剤を飲んだみたいにすうっと熱が引く。

おかしなもんだ、人の気持ちってのは、事実そのものよりも感情が左右することが多い、と昨日言ったこの口が、今日はその感情すらもよくわからんと嘆いている。

勝手というか、無知というか、まぁかわいいということだ。

ところで今朝、トッポちゃんに「タワシのブログが生活の一部になっている」というような事を言われて喜んだ。

そしてふと思ったのである。

人は前進あるのみだの、とにかく一歩でも前へ進めだのと鼓舞するが、そこに留まることが期せずして人をホッとさせることもあるんだな、と。

ぐるぐるぐるぐると同じ場所で強弱のない日々を徒然ていると、華やかな人々の光に飲み込まれて最初からなかった者のようにうっすらと自分を感じることもあるけれど、確実に、善玉菌よろしく誰かのお腹で活発に踊っていたのだ。

無駄なことはひとつもないのだ。

 

さて今日はミストン先生の経営塾ゆえ、遠くの街まで電車に揺られて来ている。

そろそろ駅に着く。

降りなくてはならぬ。

いざ出陣だ。

ではではみなはんまた明日。

この場所で。

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