灯りの下で

日常と非日常を行ったり来たり。

その比率は5:2。

月〜金:土日だ。

この比率が黄金なのかどうなのかはわからんが、行き来することは悪くはないと、そう思い始めている。

それにしても良し悪しを他と比較しなければ測れないのはなぜだろう。

この先毎日が週末になったとしても、タワシはもう過去に平日を経験しているので比較になってしまうのは否めない。

例えばまだコドモだったなら?

それでも学校がある日とない日の比較になってしまうだろう。

純粋に休日しか経験していない人はその楽しさを知ることができるのだろうか。

知る術がない。

毎日が休日でも、楽しくなければ意味がない。

楽しむためにわざわざ平日を経験しなくてはならないなんて、だいぶんズルイやり方だとは思う。

しかし比較でしか物事を測れないのならば仕方ないのかもしれない。

だってやっぱり「楽しい」は必需品だ。

だいたい「知る」ということも比較ではないだろうか。

「知らない」を知っていて、「知る」を知るのだから。

「知らない」と比較してこれは「知る」に値するとわかるわけだから。

もう知っていたなら知る事はできないのだ。

知るためには知らないことが多い方がいい?

なんだかこれもずいぶん妙な話である。

結局は対局を行き来することで人間はやっと気づけるんだろう。

 

朝と夜。

水と油。

生と死。

 

生と死は片道切符である。

どちらも一度だけ経験するのだ。

では、生まれて来る前の状態はなんと呼ぶ?

死なのか?

お腹に宿るその前を死と呼ぶのは違和感である。

天国?

いや、天国は良い人が行く死後の世界だ。

ムズイ。

絞り出しても「神様のたもと」くらいしか思い浮かばない。

ほらね。

考えてるといろんなところに広がって片づけられなくなるし、始まりがなんだったのかもわからなくなる。

でもまぁいい。

誰にも迷惑をかけてはいない。

よし、終わり。

そうだそうだ!

ボツになった未来の店の名前100個をきれいさっぱり捨てた。

あれからまた考えていた。

そしてミストン先生からGOサインが出たんだった。

やればできるね、タワシ君。

ひとつクリアしたったのだ。

OKが出たのは音の響きのみ。

漢字、当て字、カタカナ、ひらがな、ローマ字…

それはまたじっくり考えなければいけない。

しかしこうやって長い時間をかけて考えて考えて作り上げていくことは、結構楽しいという事に気づけたのは大収穫である。

「コツコツ」と「淡々と」に必要な心持ちである。

まだまだ準備が整うまでには時間がかかりそうだが、やったる。

必ずやったる。

そう心に決めたタワシの夜である。

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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