無から有をつくりだす

ただいま20時53分。

さて今日は朝からポッドキャストの編集をしている。

今回というか毎回いらない部分をただ切るだけなのだが、オマケみたいについてる編集機能なのでとにかく使い勝手が悪い。

30分間ずーっと切っては聴き切っては聴いて、さぁ!と編集ボタンを押したら「失敗しました」とか言われることなんてざらである。

今日だって電車に乗ってから降りるまで聴いて切って聴いて切ってやっていたのが、右手の指先が画面に当たった瞬間に全てが消えてなかった事になってしまった。

残念な気持ちになるのにも疲れたので、無表情のままホームに降り、エスカレーターに乗り、また電車に乗った。

もうやーめた。

続きは今度だ。

今回は白熱地獄のようにぐちゃぐちゃに思考が絡まり解けぬままに終わった対話だが、聞き返してみると面白かった。

カオスそのものだ。

わからなさ加減がとても哲学的だと思う。

きっと全然切れなくて長い長いやつになるだろうけれど、だからタワシはヘッポコなわけだが、タワシはタワシを許すのだ。

そんなことばかりをしていて全くブログの事を考えていなかった、という長い言い訳から始まるタワシの夜はまだ終われない。

なんでもそうだが物事は他人が思うほど簡単ではないのである。

いや別にみなはんに「タワシは大変なんですぞ」と言いたいんじゃないのだ。

大変だ大変だ、と書いたのでこっからどうにか話を広げようという悪あがきなのである。

気を取り直して。

えーと。

ともだちんちに行ったらご馳走があった時も、会社でパソコンと睨めっこしていると脇から「おひとつどうぞ」といただくお土産も、不在票を残して旅立った配達員さんも、一言で片づけられがちなアートも、どれもこれも思いの外、手間がかかっているのだ。

マザーが「これ持ってく?」と何気なく言う栗ご飯なんか相当手間がかかっている。

そういう手間を、見えないからってなかったことにしたら哀しみの種に水をやることになってしまう。

お水はお花とお魚にあげるもんで、悲しみの種はともだちが引っこ抜いて捨てたるもんだ。

水はだめだ。

お湯はどうだ?

お湯もだめだ。

さて、そろそろ何も浮かばなくなってきたし、まぶたが怪しい。

視界が横長になってきた。

脳みそが先に布団へ行ってしまった。

明日は逗子まで旅をするので寝る事とさせていただこうと思う。

それではみなはん、また明日。

またこの場所で。

おやすみなさい。

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