時。
そしてバランス。
時に、意味について深く深く考察する。
しかし意味という概念をそのまま一旦箱にしまい、人そのものの情熱に心を寄せる。
そういうバランスで人と関わっていきたいと思う。
タワシの聞きっかじりの薄っぺらな情報ではせっかくの研究結果も台無しだろうが
①意図する→②脳が指令を送る→③行動する
という流れが実は②①③の順番で起きているという。
だいたい意識というものがどこから湧き上がってくるのか、それがストローを上がってくるオレンジジュースのように見えるわけじゃあないのでよくわからんがわからんからそうかもしれないとも思う。
人のことは知らないがタワシは、無知の海の中のほんの小さな経験からくる知識という気泡の中でスーハースーハーと息をし、偉そうに毎日文章を書いているわけで実際のところ何にも知らないピュアなベイビーちゃんである。
ベイビーちゃんである。
こうやってレトロスタイルのiPhoneに向かって頭をぐるんぐるん動かしながら意味について深く考えたりもするが、意味がないのがオモロイという事はたくさんある。
意味に対する尊厳をそのままに、敢えて意味から逸脱し、その絶妙な逸脱っぷりが、絶妙なバランスが、クックックックックッと笑っちゃう事は山のようにある。
敢えての意味外しである。
しかしこれはまだ意味から解放されてはいない。
わざと外しているのだから。
なぜ浮かんできたのかもわからない意識の底にある火種が妙に気になる。
そうこうしているとあっという間にそれは燃え上がり、興奮冷めやらぬうちに言葉にしてしまいたくて酸いも甘いも咀嚼する間もなく、とっ散らかった言葉を発する事がある。
そういう誤配のようなものをもっと味わってみてもいいじゃないか、ワトソン君。
タワシがこの世へやってきたのは発見するためなのだよ。
発見し、心がダンシングするあの感覚を味わうためにやってきたのだ。
全然、もう全くもって答えを見つけるためじゃあないのだ。
答えなんてそんなもんはオマケである。
いや、なんなら発見途中の失敗である。
途中で間違えて答えが出てしまったのである。
そうだからして誰かにその答えとやらを長々と説明してもらう時間など1秒たりともないのである。
すまねぇな。
ミスター・インテリ。
さぁ、みなはん。
書を捨てよ、町へ出よう。
そして明日もお会いしよう。
この場所で。