せっさたくま

朝からぽ氏とLINEで数え切れないほどのラリーをしている。

素人のとっ散らかった脳みそは何をどうすればPOTOLI TO PUTOLIの思いを乗せたバスに、POTOLI TO PUTOLIに思いを寄せてくれるみなはんを乗っけるために遭遇できるのか、そこから発見の旅に出られるのか、そのスマートなやり方がわからんわけである。

別段スマートじゃなくても良いのだけれど、なんとなくカッコつけたい。

お気づきの方もいらっしゃると思うが世間をブイブイ言わせているインスタグラムとやらにブログの一部を乗せたら、その続きに興味をもってくれたオヒトがポチッとな、とバスをのぞきに来てくれるのではないかと思いつき、試してみたが、真っ赤なハートとアクセス数が比例しない。

なるほどである。

インスタグラムだけで完結しない投稿と、リンクを貼れないというネックが「わざわざ」戻ったうえでポチッとな、はせんのだわ。

もしくはそれ以前の問題だわ。

タワシらは、集まれみんな!といった性質のふたりではない。

寄りで言えば内気寄りである。

で、あるからしてPOTOLI TO PUTOLIの持つエッセンスがボディーブローよろしく効くぅ、とおっしゃる方々と「発見」を創りだし、構築していきたいのである。

それが生まれる場所を作るためにえっちらおっちら歩いているのである。

だから悲しみでペタンコにはなるまい、と念じる。

そして今朝、noteにブログをそのまま載せるという試みを企て、朝からぽ氏とのラリーを繰りひろげているというわけだ。

そもそもホームページという我が家に鎮座するバスまで来てもらうために始めたブログをnoteに載せる事がyes かno かもわからない。

いろんなところに同じものを載せる事に抵抗を感じてもいる。

しかし。

原宿竹下通りで落としたコンタクトレンズのようにてんで見つからないタワシたちが、やれあれはどうだこれはどうだと言うステージになんか全然立っていないわけで、だったら今日は待ちに待ったフライデーチャイナタウンだし、月曜日は有給取っちゃったし、れっつらトライっつって、やったれ!チャレンジ。

したわけだ。

ビビりながらのGOである。

そう、タワシはコドモもオトナも引くほどのセンシティブちゃんなのである。

閑古鳥が泣けばタワシの頬も泣くわけだ。

 

プチ鹿島氏が言っていた。

人生の最後に「自分の人生はどうだったんだろう」と考えるなんてナンセンスだ、みたいなことを。

たしかにそうだ。

そんなもん、最後じゃなくたっていいのである。

人生のエピローグでタワシらが何を思うかよりも、ビビりながらでも挑戦する今が必ず誇りに変わるのだ。

タワシはどうにもこうにも一般ウケはしないようなので、小さな隙間で好きなように踊るのだ。

さて。

今夜もそろそろエピローグ。

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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1件のコメント

おはようさんでございます。
あっちにもこっちにも載せてもらえてたら助かる〜。
noteはまだわからないけど、プロフィールから辿り着けました。

カズーシュカ

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