何度目かの淡々と。

1万円札が100枚で100万円の札束がド・ドンとあるとしたら、それを100枚にバラしても1枚が1万円という価値を持っている。

そう、1枚ずつ個別に使用可能なわけだ。

しかしゴッホの『ひまわり』が53億円だとしてキャンバスを50枚に切り分けて1人ずつ持っていたら、その一欠片は1億600万円?にはならないだろう。

ものの価値は、本当のものの価値はそこには宿っていないからである。

タワシやアタナの心の中に宿る「想い」という名の気持ちがそのものの価値を決めているのだ。

マネーにも価値は宿っていない。

それで何を得たいか、と思う場所、つまりそれはアナタの心に宿っているのだ。

宿り場がどこにあるかってことを見失うとやべぇことになるような気がするんだが。

どうだろか。

例えば「ひまわり」の一欠片を持つ人々が一斉にどこかに集まりパズルみたいにつなぎ合わせるとする。

するとなぜかそこに想いが生まれる。

ストーリーが動き出すのだ。

もう、一欠片は一欠片ではなく「もなりざ」行きのチケットになったのだ。

一欠片が1枚の絵に変わっていく風景や、どんなことが起きるだろうという期待を胸に向かう道中の想い、大勢でなにかを復活させているという高揚感、そういう諸々がここで初めて億600万の価値を知るのだ。

タワシにとって価値とはワクワクする気持ちである。

人生はもう折り返している。

不安というもやもやオバケとはグッバイして、そろそろワクワクする気持ちに心の中心を移していくのだ。

時間はかかるかもしれないけれど、そのプロセスにさえワクワクするのだから引っ越しは完了である。

それがタワシにとってはアートと本と対話の店なのである。

秘密だが名前はある。

想いの積み木を重ねていくのだ。

途中でドッシャンガラガラとぶっ壊れるかもしれないが、淡々と、価値はどこに宿るのかを確かめながら何度でも重ねていけばOK牧場。

ここに集まるヒトたちがなんか知らんけどドアをノックしてしまうような店をつくるのだ。

週末が始まってタワシの心がまたいつものようにお祭り騒ぎになる前に今一度自分の心を掘り下げる。

カプリコを食べながら。

サーズデーは掘り下げ日和ですぞ。

みなはんもぜひに。

それではまた明日。

この場所で。

ばいなら。

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