昨日から頭が痛すぎた。
吐き気もセットだ。
しかし有給は遊びのために使いたいのでオフィスへ行く。
いつもなら一目散に食らいつくランチのおにぎりが今日は食べられない。
とにかく目を瞑りたい。
中途半端になっている仕事を片付けて早退する。
鳥肌が立つほどエアコンがギンギンに効いた車内でだいぶ気分が落ち着いたので、やっぱり湿気のせいだとわかる。
うちに着く頃にはだいぶん落ち着いていた。
去年の今頃も頭痛と吐き気で早退した事を思い出す。
去年はストレスオーシャンの中で働いていて、オフィスを出た途端に具合が良くなったのだが、ここはストレスフリーの現場である。
しかしやはりオフィスを出た途端に痛みや吐き気は落ち着いたのだ。
なぜだ?
ストレスなんかないぞ?
もっとこうなんか根源的なストレスが隠れているのか?
それは何だ?
生きるために働いているが、働かなければ生きていけないという思いはそれだけで相当ストレスになっている。
ギリギリでなんとか生き延びて、それでもストレスはきちんと蓄積されており、ある日具合が悪くなるのはなんだか腑に落ちない。
与えられた日々の小さな選択は果たして正当な選択肢なんだろうか。
もしかしたら選んでいる気になっているのは自分だけでもともと選ぶ権利を与えられてなんていないんじゃないだろうか、と思ったりする。
よくわからなくなる。
医者へ行き、薬を出してもらい処方箋薬局へ行くと激混みプンプン丸である。
1時間近く待ったのではないだろうか。
え?
こんなにみんな具合悪いのか?
月曜日の夕方からこんなにみんな具合悪いのか?
そんなんでこの世界は幸せになれるんだろうか。
いろんな事がよくわからなくなる。
考えていると思っていることが、じつは誘導されているだけだとしたら?
考えたつもりになれるだけの、あらかじめ用意された思考のサンプルのひとつだとしたら?
怖い。
怖すぎるじゃないか。
今日は具合が悪いからそういう考えに陥ってしまっただけなのか、具合が悪くなったせいで本物の思考に辿り着いてしまったのか。
怖いぞタワシ。
今日も早めに寝ることにしよう。
明日目覚める朝は本当に今日の続きなんだろうか。
本当にタワシは毎朝、夢から覚めているんだろうか。
知りようがない。
大好きな映画で、リチャード・リンクレイター監督の「ウェイキング・ライフ」がまさにそんな映画だ。
かなりオススメの映画である。
それではみなはん、また明日。
明日?
あした?
アシタ?
この場所で。