『知性を磨く』読了。
人の心の動きを見誤るのは、ほとんどの場合、自分のエゴが自分に都合が良く、心地いい解釈をするからで、自分のエゴを感じ取れれば相手の心の動きを感じ取れるようになり、そして集団の心の動きも感じ取れるようになる。
らしい。
この集団の心の動きとは、空気を読む、雰囲気を察する力だと。
ふむふむ。
なるほど。
タワシは思うのだが、最近は空気を読みすぎる、とか人目を気にしすぎるというように、この言葉がちょっとダメ寄り、もしくは「ダサ人間」のように扱われがちのような気がする。
タワシは自称「蝶が舞うだけで空気の動きを感じ取れるウルトラ空気読み人間」である。
なので昨今の風潮にはしばしば閉口していた。
つうか日本人のほとんどがそうなんじゃなかろうか。
そこで朗報である。
空気を読んでしまう、雰囲気を察知してしまう能力は知性ですぞ。
なんつってタワシの場合は自称であるから本当はどうだかわからんけれど。
また「論語読みの論語知らず」という言葉も初めて知ったが、オモロイ。
これは知識はあっても実行していない。
つまり「できない」ということになる。
ここでだ。
タワシなんて最近は全く読書ができていないし、はなっから難しい本は苦手だ。
毎日毎日、ワクワクする仕事をしているわけでもないし、なんなら苦手分野の職種である。
しかし。
朗報ですぞ。
すでに社会に出て自分の想像の及ばない他人が介入する世界で生きている、それだけでじゅうぶん心を感じ取らざるを得ないのである。
実行せざるを得ないのである。
そういうジャポニョリータにジャポニョールがたくさんいるんじゃなかろうか。
ここでの切磋琢磨は確実に蓄積されている。
それでじゅうぶんなのだ。
別に知性を言葉にする必要がなければもう足りているのである。
言葉にしたいのならば、知識を使いわかりやすく言葉にできたらなお良い。
だけだ。
ただし、それを体験ではなく経験にしていかなければならない。
そこがムズイところなんだが。
ふぅ。
著者の真意はつゆ知らず、タワシの独断と偏見考察劇場を終わります。
それではみなはん、また明日。
この場所で。
1件のコメント
ジャポニョリータにジャポニョール
うけた🤣