30年以上疑問を抱いていたが誰にも言わずにきたことがある。
「森田一義アワー 笑っていいとも!」のオープニングソングで、今日がだめでもいいともろー きっと明日はいいともろー の、ともろーがずっと引っかかっていたのである。
意味がわからなかったのだ。
それが本日突然腑に落ちた。
今日がダメでも明日はいいよ きっと明日はいい明日になるよ
そういう意味なのだ。と、思う。
トモローはトゥモローだったのだ。
いい歌詞だったのだ。
さて。
先週ぽ氏と見学に行った太極拳教室が良かったので習いたいね、と言いながら帰った。
心は本決まりだったが、時が中途半端だからか来週も無料体験できますよ、と言ってくれたのでお言葉に甘えて行こうと思っている。
前回は準備体操だけ見よう見まねで体験したがじわりと汗をかいた。
ギンギンに冷えた教室で、ただゆっくりと太極拳らしい動きをしただけで。
これなら日々の運動不足解消にもなるし、とにかく動きが思っていた以上にカッコよかったのが決め手であった。
昔、駄菓子屋に売っていた凹むナイフの要領で凹んで仕舞える剣を使う場面もあり、剣を使うなんて想像もしていなかったので心の中で「わお。」と呟いた。
先生の動きはよくわからんがおそらく理にかなっているので美しかった。
マザーは茶道を教えている。
最近は膝が痛いからか暑いからか休みがちだが。
マザーのコドモであるタワシは有無を言わずにコタワシの頃はお稽古をしていたわけで。
大人になってともだちが習い始めたから一緒に来て、と言うので一度だけ行ってみたことがある。
習いたての彼女の所作を見た時に初めてマザーの所作の美しさを知った。
ある日テレビをつけたら茶室で歌舞伎役者のどなたかが対談をするところで、襖を開け、座に着き、手を湯呑み茶碗に持っていくまでの全ての動きにとても品があり、しかもそのスピードの速いと遅いのバランスがさらに美しく、惚れ惚れした。
所作が美しいというのは見ていて惚れ惚れする。
型を覚えるまでに長い時間がかかったんだろうと思う。
かけた時間の長さは効率云々をはるかに超えて美しいと思う。
最近特に、タワシの中の美しさの概念が変わってきている。
美しさとはなんだろう。
丁寧さ。
だろうか。
それではみなはん、また明日。
この場所で。