読書よりも手っ取り早く、知ったふうな事を言うためにYouTubeを観る。
ヨコシマな気持ちで。
タワシは一生タテジマにはなれない姑息な人間である。
姑息さがバレる前に、もしくはバレている事は承知です、といって自己防衛する事も忘れない。
こうやって自己防衛しながらも素直な人間ぶる事もさらに忘れないという生粋の姑息族の申し子である。
自分を守る事は生きることであるから、人が最後まで手放さない手段でもある。
タワシは生きる事を全然諦めていないのだ。
がむしゃらなのだ。
明日が来るのは、夜ご飯を食べ終わったからか?
おやすみぃなんつって布団に入ったからか?
正解。
終わりは始まりの始まりだから。
誰かとの約束は?
これも生きる為の手段である。
いつかの約束が楽しければ楽しいほど約束を守るその日までは生きたいと思える。
だから人は遠い夢をみるのかもしれない。
夢は未来の自分との楽しい約束だ。
さて、お馴染みオフィスのK氏が、×の事をバッテンと言った。
そっから何時間か経ち、電車に揺られながら不意に、バッテンて言ったよな、と思い出しウケた。
K氏は人生の比較的早い段階で身近な人に×をバッテンと教わり、30を超えてもなお可愛らしい言い回しを使い続けている。
可愛らしいとは気付かずに。
そういう、人の朝ごはんや日常が、タワシもとても気になるのだ。
じっくり思い返せばぷぷぷなことが、日常にはわんさか隠されている。
そう、つまり日常はオカルト。
もはや話が的を射ず、右往左往し始めた。
こういう日は決まってフライデー・チャイナタウンなのだよ。
帰ったら風呂で爆音で泰葉、純子、もいっちょ純子で、もひとりの純子、
真知子、ナオコを渡り歌い、みゆきのナオコで湯船で涙をポロリンチョしてからYouTubeでロマンあふれるオカルトを観る。
いっい湯だな、ハハハン。と。
最高だな、タワシ。
フライデー。
それではみなはん、また明日。
この場所で。