週末に頭痛はやってくる。
これはもう平日にやるだけやった血管の収縮が、あまりにも楽しみすぎる週末に向けて緩むが過ぎて三叉神経をガツンガツン刺激しているにほかならない。
が、しかしそれでは週末へのあり余る愛をどこへ仕舞い込めとおっしゃるか。
つうか仕舞い込んだら週末が平日になるではないか。
月火水木木木木なんて天変地異もいいとこだ。
大事件だ。
タワシは激おこぷんぷん丸でかわやの天井を見つめていた。
そして気づいてしまった。
この40年近く痛みに耐えていた自分の身体、細胞たちに優しい言葉ひとつかけたことがあるだろうか。
いつでも痛みに激おこで、痛む自分の身体にさえ激おこだったではないかと。
これはマズイ。
誠にマズイ。
1番痛いのはタワシではなく、タワシの肉体だった。
タワシは悲鳴を上げていた肉体の声を横取りし、痛ぇ、痛ぇと騒いでいただけではないか。
これはごめんなさいである。
すぐに頭を撫でた。
頭が鳥の巣になるくらいにぐるぐる撫でた。
よぉく頑張ってくれた、と。
ありがとありがと、と。
そしてここでなんだかこの世の理がすうっと見えたような気がした。
エゴの意味がわかったような気がした。
タワシはひとりがこの身体と心の持ち主なのだと思っていた。
違う違う、そうじゃ、そうじゃなぁい。
そうじゃないのだ。
タワシはタワシのチームの一員であり、他の仲間のチームメイトとして激おこぷんぷん丸で、ずっと嫌われていたのだ。
マズイ。
人に優しく、なんつってタワシをタワシたらしめているチームメイトに酷い暴言を吐きまくっていたのだ。
治るはずなどないではないか。
ゴメンよ、タワチー。
痛ければ寝れ。
ソファーにぐでっとして携帯電話ばかり見てるんじゃない。
早く寝れ。
優しさとは何か。
怒りの反対側にいる何かだ。
こっぴどい痛みだが、なんかかなり大切な事を知ってしまった。
ありがてぇ痛みだったということにする。
引き続き週末も楽しみにする。
栄養も運動も睡眠もYouTubeも大事だという事だ。
それではみなはん、自分に優しく。
また明日。
この場所で。