徒然というネーミングのブログを毎日書き始めて10ヶ月ほど経とうとしている。
その頃読んでくれたのは、2桁にも満たない心豊かな変人のみなはんであった。
それでもゼロじゃないことが1日の終わりにタワシを超絶救ってくれていた。
明日を生き延びる糧になっていた。
まずの目標、毎日ホームページへのアクセスが100人になったら店をやる!にはまだまだ程遠いが、だるまさんが転んだくらいのスピードで少しずつアクセス数はうなぎ登りしている。
POTOLI TO PUTOLI自身が、ホームページに時々コメントをくれるグルンちゃんへの返信の仕方がわからないというヘッポコっぷりではあるが、Facebookのコメント欄やストーリーズの返信、という形でコメントをくだはる方が増えてきて、おちょこ並みのタワシの器の心は溢れんばかりに嬉しい悲鳴を上げ始めているのであった。
歩さんは毎日コメントをくれる。
いつかタワシがそうしてくれたら嬉しいと言った翌日から毎日。
コメントの内容は遠くへとさておくが、それはとんでもなくしんどい事だと思う。
旅行中にコメントがなかった時はタワシから催促したほど、もはやタワシん中で日常になりつつある。
コメントがなくても毎日読んでるのがわかっているオヒトたちにもとても感謝している。
時々登場するりなちなんて、驚くほどに何にも言わないが毎日タワシのブログにアクセスしているのをタワシは知っている。
発熱しても、アクセスしている。
タワシが仲間とやっているポッドキャスト「深飛行」を「あのポッドキャストがめちゃくちゃ聴きくなったけど名前忘れました!なんですか?」と言い、名前を覚えたと思いきや「不可飛行」などと呪いのような酷い名前で何度も書き殴ってきたり、もう失礼極まりないのだが、親くらい離れたタワシに懐いてふざけ倒す姿はかぁいい以外に言葉が見つからない。
そういう笑けるほどに不器用で、人知れずホットな人たちに、いつの間にやら守られてタワシは生き始めている。
対話と銘打つと、構えてしまい、行く気が失せる方もいるかもしれない。
だがしかし、敢えて「対話の店」と言い続けようと思っている。
対話という言葉のイメージを高尚なステージから引きずりおろし、ポップな舞台にスタンディングさせたいのだ。
だから敢えて対話なのだ。
気兼ねなく対話ができて、思い出や知恵を物々交換し、頷いたり、笑ったり、この人とは仲良くなれないと線を引いたり。
絵に描くと、最後の晩餐よろしくわちゃわちゃした空間を手作りしたい。
本があって、タワシのアートしかなくて、みんながいる。
飲食は全て自販機にする。
どんどん未来の映像はくっきりしてきて、足りないものも浮き彫りになってくる。
しかしやはりコツコツが大事だ。
時間は天然オーディションだとわかる。
自然と集まるみなはんがつまりタワシの理想郷となるのだ。
勢いや、見てくれではなくここ(一応今、拳で左のハートを叩いている)で共振したヒトビトが行進しながら店に来る。
ワクワクするじゃねぇか、おいタワシ。
飯が美味い。
みなはんも頭からモクモクを浮かべてワクワクしたならぜひ《さろんど、問答》へ。
それではみなはん、また明日。
この場所で。