汚れつちまつた悲しみに なすところもなく日は暮れる…

何だかみんながそれぞれの視点で何かを見て、何かを作り上げ、それぞれのやり方でこの《問答マニア》という空間を楽しんでいる気さえする。

そういう、全く相容れず、だからといって険悪ではなく、それぞれの執念のような強すぎる個性がどうやっても交わらないから仕方ないが、でもまぁ一緒にいようか、みたいな前向きな孤独感が誠に素晴らしいと思う。

前向きな孤独は自立である。

どうにもならないことをどうにもならないと受け入れて尚、真正面から孤独と向き合う。

人は往々にして、己の人生をクリエイトしている。

そう、生き方は我々の作品である。

全てが思うがままになるのならそれに越したことはないが、たいていの人は、人には言わずに汚い心を抱え、汚い心を抱えた自分と戦ったり、汚さを見ないことでなんとか立っていたり、いろいろだ。

そんなことは普通である。

しかしせめて自覚していないと、と思う。

なぜなら他人への暴力になりかねないから。

対話は、自覚するキッカケになるんじゃないだろうか。

いや、いいことも知りたくない事もせめて自覚できるような対話は生きていく上で必要だと思う。

タワシは徒然る時、よく自覚させられる。

本当にこんな事思っているのか、とかカッコつけすぎだろ、とか真っ黒な自分を曝け出しすぎだな、と消したりしながら自覚させられている。

嘘をつきながら自分が嘘つきだと自覚する。

ダメな自分を自覚することは楽になれることでもあり、だからと言ってそれを個性だから仕方ない、と他人に押し付けることを自分にどこまで許すかどうか。

そこで「己」という作品の出来は変わる。

タワシは「概ねカッコイイ」人になりたい。

カッコワルさの余韻も残しつつ、おおむねカッコよければそれでいい。

こうやっていろいろさ、みんなと対話、しタイワな。

なんつって。

ダジャレなんかも混ぜてみる。

「タワシちゃん、かわいい」なんて言われようとしていると自覚している。

ダジャレがかわいいかどうかは知らない。

対話ってオモロイよ。

 

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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