猛烈に、うなだれるほどに反省感を引きずってなう。
書く事にあぐらをかきはじめていた。
左の踵を右膝の下に入れ込んですぐに鼻をバッキバキにへし折られた。
薄っぺらい実力は夜風に呆気なくもってかれ、そして消えてった。
今夜はママンのシュウマイを20個並べ、左手にフォーク、右手に携帯電話。
じっくり向きあい、しつこくしつこく文章を書く。
神様は甘ったれを許しはしない。
だから昨夜のタワシはゆるされなかったのである。
しかしそれは希望でもある。
なぜならタワシは、甘ったれはくそったれだと思っているからなのである。
甘ったれにも「A面な甘ったれ」と「B面な甘ったれ」があるのをご存知か。
A面はシングルカットなのでわかりやすい。
たぶん全てギャグなんだと思う。
ウケを狙って甘えているのだ。
だからウケる。
問題はB面である。
人の好意やら、誠意やら、優しさを一切合切利用して、じわじわと罪悪感を植え付ける。
だからなんだかこちらが悪かったのか、と思えてくる。
そう、つまり沈黙という甘えだ。
言ってしまった一言や、やってしまったバカヤロウのあとでの沈黙ってなんなんだろうと、タワシは思う。
黙っていれば反省してるとでもいうのか。
さらに怒りをかったとしても謝り続けることのほうが誠意じゃないだろうか。
カッコつけてるそのカッコ良さがどれだけカッコ悪いか気づきもせずに。
真っ黒に汚れたタワシはだから神様が甘えを許さないことが希望である。
そろそろ笑うのはタワシだ、とほくそ笑んでいる。
怒りに嫌悪感を抱く方がいるが、タワシは怒りの塊のような人間で、タワシマイナス怒りイコールスッカラカンである。
しかし考えてみてはくれないか。
この怒りは果てしない不公平への悔しさなのだ。
悔しさを知ってるタワシの怒りは外へ向く時、勝手に優しさに変換される。
他人に同じ思いなどさせたくないと思うから。
だから思う存分怒らせてくれ。
怒りのミルクをロックで今夜も一杯飲ませてくれ。
今夜もぐっすり眠れるように。
それではみなはん、また明日。
この場所で。