パソコンで絵を描く意外に全くパソコンの使い方がわからん。
パソコンで、なにがしかの決定ボタンを押す時は毎回指が震えている。
今朝も帰ってからやるかな、と思いながら今やっておこうと気持ちを切り替え、携帯電話をピコピコしていたら、案の定しでかしてしまい、自分が何のボタンを押したのか分からず、出てきた表示に唖然とする。
まぁ、だが押してしまったもんは仕方ないので諦めた。
さて。
このように「帰ってからやるか」みたいな後回思考(アトマワシコウ)を払い退け、「なう」でやっていると思いの外日々がとても忙しかったりする。
1日のうちの、自分が「まぁいっか」と後回しにしっぱなしのあれやこれを思い返すとひどく恐ろしい。
もう今さら猛烈に「あの日思った後でするか」の数々をノンストップでしまくったって、人生のピリオドで「くぅ〜っ、まだ終わってないんすけどぉ」なんつったりしそうである。
本当の後悔はこの時思う「くう〜っ!」なのかもしれない。
だったらまだ未来のことなど知らんぷりしてがむしゃらにやったれ、などと威勢よく思う。
やるしかない事はやるしかないんだしな。
お金。
お金は欲しい。
たっぷりあれば自由だし、心の余裕は半端ないはず。と、想像する。
つまり幸せを手にできる、と。
そこでお金の本を読みはじめた。
文体が気持ち悪いが、とにかく最後まで読む。
こういう思考で動けば稼げる、みたいなことが書いてあるが残念ながら全くもってワクワクはしない。
その思考を使えばお金を手にする機会は増えるだろうけれど、全然面白くない。
ここで幸せの概念がブレブレにぶれる。
「楽しい時」が幸せなのか?
あるいはこの幸せが長く続くとは思えないと予感する絶望が幸せな時間を上回るから、幸せなんてずっとないじゃないか、と錯覚し、不幸なのか。
大金持ちになろうとするから辛いんじゃなかろうか。
そんな大金必要だろうか。
大金を手にしたとき、タワシはいったいいくつになっているんだろうか?
本当にそのお金で幸せを盛り返せるのか?
タワシだったら、お金を手にした途端に周りを信用できなくなり、騙されないようにとびくびくし、いちいち傷つくんだろうよ。
それでも大金は、無いよりあったほうがマシなのか?
ちょうどいい分量のお金がいくらなのか想像できないから「極端」になってしまう気がしてならない。
なくても、あり過ぎてもきっと不幸だ。
丁度いい幸せ、丁度いい分量のお金、今やるスイッチ、欲しいねぇ。
そう思わない?
それではみなはん、また明日。
この場所で。