こんな風の日はいろんなところからいろんな匂いがする。
お肉屋さんの揚げたての油の匂いは、コタワシの頃のマザーご自慢の三輪車のカゴに、タワシとヤンガーブラザーがぎゅうぎゅうに詰め込まれ、バイバイと手を振る友はみんな目線のずっと上でカッコよく颯爽と過ぎ去っていく風景を思い出す。
長崎生まれのマザーは自転車に乗れない。
坂の街だから。
夕暮れの中をシャコタンよろしく地面スレスレで疾走する。
マザーが。
お肉屋さんの前では今日みたいな匂いがしてた。
時々駄菓子屋にシャコタンを停め、ひとつだけ好きなものを買ってよろしと言われると、タワシはいつも餅太郎を握りしめた。
土間の黒や、夜なのに薄明るい電気がなんとなく寂しかった。
あの日、まさか40年以上たっても「今日」という日を鮮明に覚えているなんて思ってはいなかったけれど。
覚えておきたくても忘れてしまうことは山ほどあるのに、なんで覚えているのがこのシーンなんだろう。
思い出せないが、たぶんすごく嬉しかったんだと思うのだ。
何か買ってもらえる予感とそれが叶った瞬間の気持ちは小さかったコタワシのハートにはデカかった。
その、心臓が振れるスピードがあの日とシンクロするから一気に映像が蘇るんだと思うのだ。
感動したとか嬉しかったとか、そういう気持ちはひとりで噛みしめたっていいが、ちょっと勇気をだして人に伝えた方がいい。
その「ドキドキ」がその風景を記憶して、これから先、言ったヒトも言われたヒトも何度も思い出すことになるから。
みんな褒められるのは嬉しい。
みんなひとりじゃさみしい。
みんな同じだから、自分のことばっかりじゃ周りが苦しい。
餅つきタレ付き。
餅でもたれる。
持ちつ持たれつが丁度いい。
イェイ。
それではみなはん、また明日。
この場所で。
1件のコメント
この日のブログが大好きです。子供の頃の原風景をみせてもらえるのは幸せです。ありがとう!いまだにイエイを言う人(文の最後につける)を知っていて、色々な感情が呼び起こされた。良い人かどうかは知らないけど、私の好きな人なのでほっちゃんとイエイがかぶって嬉しかった。