笑うタワシ

我々は生まれて死ぬ。

我々に与えられた時間はその合間の、生きている時だけである。

たぶんね。

そして少なくともタワシは未来の幸せの幻影を追いかけ、一生懸命に今を苦労している。

それが、生きている合間に最優先すべきことなんだろうか。

ただただ貧乏は恐ろしいと刷り込まれ、今がどうであろうと、この先そうなる確率が低かろうと、懸命に貧乏から逃れようと走る。

「未来」で楽するためにいつでも「今」苦労しているんじゃないだろうか。

だが我々は永遠に「今」しか生きられないのだ。

「今」は過去の「未来」である。

あの日の苦労は「今」報われているだろうか。

未来のために苦労してきた過去のたくさんのそれらは、思い描いた通りの未来を今、作ってくれているだろうか。

タワシは苦労が人を救うこともあると思う。

手放しで苦労バンザイではないが、実りある苦労は人を素敵にする。

しかしどうしてもこの世の中は、意図的に作られた幻影を常に刷り込まれ、思考停止で追いかける「誰かにとって」都合の良い未来のためだけに、大勢がおおいに使われているように思えてならない。

じゃあどうするか。

タワシは金輪際、過剰な心配をしないようにする。

この心配は誰の心配だ?

わからないことにこんなにも心配になるのはタワシに心配させておきたい輩がいるのだ。

突き詰めればその心配は輩の心配で(我々が動きをとめたら楽ができなくなり、困るのはきっと輩だ)タワシの心配ではない。

自分に直結した本物の未来について、それだけ心配すればいい。

その見極めは思考を止めずに考え続けることだと思う。

ドンストップタワシ。

考え、そして笑え、タワシ。

わっはっはっはっはっはっは。

わっはっ、それではみなはん、また明日。

この場所で。

わっはっはっはっはっはっはっ。

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