つまりで言うと、荒木博行さんが言う「概念だけの話ではなく、身体を通じて学んでいくみたいなことがある。だから言語化しにくい」にタワシの昨日の感情がググッと持っていかれたのである。
しかし「これがとても重要なんだよ」と言ってしまった途端に感覚の域から学問へと一気に引き戻されてしまうよなぁ、としみじみ思い…言葉が見つからない。
きっと、いきなりなんの話をしとるんじゃ、と、みなはんお思いであると思いますが、タワシ的には泣きたいくらいに沁みているのである。
感覚は視覚化できない。
だがしかしタワシの99%は「感覚」でできていて、可視化されないいろいろが視え過ぎる。
ゆえに、常に入ってくるタワシ以外には視えないいろんなニンゲンの膨大な感情という名の情報量にボディーブローを食らいまくる。
食らった多くの感情はやがて怒りに変換され、常に感情的になる。
当然だが、そんなもんは誰にも見えず、タワシは宙ぶらりんになるのである。
つまり周りは引いて、タワシは浮く。
霊感と重ね合わせて考えた時に一気に合点がいったのだ。
タワシに霊感はないが「見えないものが視える」という言い方をするととても近いんじゃないだろうか。
視える人はよく言う。
スイッチを切らないと疲れるよ、って。
まさに常に疲れていたではないか、タワシちゃん。
奥歯を緩めてこーぜ。
だって今日はフライデー。
フライデーなんだから。
それではみなはん、またまた明日。
この場所で。