ヨコモジ 黄昏。

怒りを捨てると楽だ。

最近、怒りの根源となるものと物理的に隔絶し、生活を送り始めたのでものの見事に穏やかに過ごしている。

SNSもバッサリと、根源に関しては切り捨てて目に入らないようにしたら、どえらい楽である。

見たくもない情報に触れずに過ごすということは、こんなにもタワシの心を安定させるものなのか。

昨今、エコーチェンバー(SNSで自分の興味関心事ばかりをフォローする事で、自分と似た感覚や思想ばかりが目に入るようになり、あたかもその偏った思考が世界の常識だとおもいこむ、みたいな)や、フィルターバブル(これまたSNSで自分が検索した系統のものを機械が勝手に学習し、その人の知りたい情報、信じたいものだけを選別しネットにあげてくるので、知りたくない情報は存在しないものと勘違いするくらい入ってこなくなる、的な)といった「知らぬ間に都合よく」心地よさの風呂につかっている人間たちであるが、今回のタワシの件も似たり寄ったりなのだろう。

ただ時々、友達伝いのルートで期せずしていらない情報を得てしまうと、まぁたまたま今日がそうだったのだが、心は一瞬で荒波へと放り出されるわけだ。

しかし、隔絶していた間に確実に怒りの根源となるものはタワシの中でオバケみたいになっていき、現実的ではなくなった。

そうか。

消してしまえば良かったのか、と気がついた。

この世に「いる」か「いない」かは「いる」か「いない」かではなく、さもいるかのように想像できてしまうかどうかなのだ。

頭の中で存在をデリートできればタワシの勝利なのである。

死んでしまった友達をよく思い出す。

なかなか会えないけれど遠くで楽しく生きているみたいだな、と思う。

そういうことなのだ。

言葉にするの、ムズイ。

が、仕方ない。

明日はもう少しマシになるだろう。

 

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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