説得力がないという魅力 うまく言えないというオリジナリティ

人に何かを伝えたい時には説得力があった方がいい。

伝えることが目的だから。

でも。

人に伝えたくて話したり書いたりしているんじゃなければ説得力はいらない。

と書き始めていたら昨日の徒然にお手紙が届いた。

通学とか通勤の途中で読み、何かを思い、書いてくれたのだろう。

内容は伏せるが、どちらのお手紙も良い意味で煮え切らない感じで、読みながら、あぁこういうの好きだ、と思った。

味わいを感じる朝だった。

徒然を書くことで誰かの人生を変えたいなんて思ってないし、信者をつくりたくて書いているわけでもない。

ただ、書いてるだけ。

それだけだ。

なので「すごくわかった!」と言われるような時は自分に警報を鳴らさなければいけないと思っている。

わかりやすさの落とし穴に誰かを突き落とすような事にならないように。

何度も書いているが人生も心も、全てはぐっちゃぐちゃのまっぜ混ぜだと思っている。

そんな混沌とした世界をわかりやすく説明できるはずなどないし、そうすることはナンセンスだとすら思う。

だからタワシの句読点の少ない文章も、整わない文体もどちらかというと敢えて削らないようにしている。

人をイラつかせるほど弛んだ部分にこそ本音が入り込んでいるし、そもそも事実に説得力などない。

事実は起きた。

ただそれだけ。

手付かずな魅力なのだ。

うまく言葉にならないのは小さなこともこぼさないように抱えているからだし、抱え込んだ余計なものが多いほどオリジナリティーに溢れている。

聞く側こそが想像力を働かせて相手が大切に抱えている言葉を手に取り、感じるべきだ、と思う。

こういうことを考えていると美しいの概念がガラリと変わる。

あぁ、楽しい。

今日は何を書きたかったんだっけか。

忘れてしまった。

今日はすこぶる楽しい。

まだ火曜日なのに。

 

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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