足が棒とはこの事だ。
3日間歩きに歩いた足は棒になってジンジンしているが、旅の思い出も言葉にならないまま静かにジーンとしており、おあいこである。
観光にも温泉にも興味がないので旅の経験は少ないが、歳を取るとモノの見方も、だから感じ方も変わるもんだというのがこの3日でぶっちぎりで気づいたこと。
誰かと旅をしたってずっと一緒に行動する必要はなかったんだとか、逆に誰かの「好き」のお裾分けが自分の「好き」の中に仲間入りをしたりとか。
行きたいから行くけど、無理そうなら引き返せばいいやという余裕が、実は旅をより楽しくするってこととか、旅先でともだちと再会する大切な時間とか。
ひとりだと適当に済ませがちな食事を人となら味わおうかと思うこととか、なんとなくボヤッと描いていた未来が非日常の中でなぜか輪郭線を帯びて立ち現れる感じとか。
整理したほうがいいこと、優先順位など。
昔より無理が効かなくなるのが思いのほか早くて驚き、これは早いうちに旅行をしておいたほうがいいなとか。
会社と家の往復は変化がないので、ほかの諸々に関しても気づけばなるべく変化のないように選びがちだった。
やりたいやりたくないの前に「変化しない」を取るのは選択ですらないのだ。
岡本太郎先生が言うように、人は日々選択の連続をしているはずだったじゃないか。
明日になればまたおおかた忘れてしまうだろう。
しかしまぁそれはそれとして、今日は今日として心に留めておくことにする。
腹ペコだと思っていたのに和幸のトンカツを2切れも残してしまった。
ひどく残念である。
さて、明日から日常の始まりだ。
目覚ましをかけて寝る。
それではみなはん、また明日。
この場所で。