時代に乗り遅れる事によって常識がとっくに変わったことを理解できずに怒りや悲しみの中で生きていくのは嫌だと思っている。
流行に頑なに乗らない、という、タワシがやりがちなことも、それが結局自分の世界を窮屈にしていたな、と、この歳でも気づけたのはラッキーなのかもしれない。
なんてったって人生は100年になったのだから。
普通に生活していると、世界とか日本とかを俯瞰して見たときに一体なにが「なう」なのか、どこへ向かっているのかがわからないので、偏っているかもしれないけれどYouTubeでそのギャップを埋めようとしている。
政治家とか経済学者とか経営者が語る日本の未来を、フムフム、日本よ変われ、社会よ変われ、と言いながら観ている。
そうすると「これからの社会は」とか「世界は今こう変化している」とかの話があって、だから日本はこう変わっていかなければならない、会社はこうなっていかなければならないとスマートに語られる。
あれ、ちょっと待てタワシ。
タワシは生まれてこのかたずーっとオフィス・タワシを経営しているじゃないか。
生まれてすぐに「自分」という会社を継がされたじゃないか。
しかし今まで経営をしてこなかったじゃないか。
そもそも経営なんてムズすぎると匙を投げっぱなしだっただろ。
タワシらしく生きるとかの前に、オフィス・タワシの経営方針とか理念とかぶち上げて、そして時代を伺いながら改革とかもしていかなければ、当たり前に時代に乗り遅れ、時代錯誤もいいとこだよね、と鼻で笑われてしまうではないか。
ここはひとつ「自分らしさ」からいったん離れて、自分を他人のように見てみる。
結構カッチョワルイとこ、あるかもしらん。
これはどうしたら自分がカッチョ良く見られるかを考えるのとは全く違う。
「どうしたら自分が…」と密かに思っている時点で自分の枠から外れていないから。
それは相当ダサいと思う。
枠の外に出るということは自分への無条件の愛をいったん捨てる事。
なかなかムズイが。
そこまで離れなければ見えないことは相当あると思うのだ。
バランスを取る時は揺れる。
ゆらゆら揺れる。
枠の外と中をゆらゆらして「今1番イイここ」がわかるのだ。
あれ、CoCo壱みたい?
揺れるは全然正しいのだ。
揺れろ揺れろ、タワシ。
ぶら〜んぶらん。
それではみなはん、また明日。
この場所で。