文章を書くのが好きだ。
毎日眠い眠いとぶーたれてはいるが、なんつうか言葉の位置を入れ替えたり、一文字変えてみたり、遠くの親戚みたいな言葉に置き換えてみたりして、これはみなはんへのひとつの挑戦状でもある。
この部分に気づいてくれるだろうか、とニンマリしながら書いている。
密かな楽しみである。
そう、楽しいからいつのまにかそろそろ1年経つわけで、今からケーキを食べる気満々なのである。
人生で1年毎日続けた事と言ったら生きていることだけだ。
ダイエットで食べない日もあったし、泣きながら徹夜で勉強をした日もあった。
生きること、それだけは1度も辞めずに続けている。
毎日書いてみて毎日続けるヘビーさを実感し、今まで生きてきたみなはんもタワシもそれはそれは生きるというスゲ〜ことをやり遂げているんだなぁ、と改めて思う。
毎日ちょっとくらいお菓子を買い食いしたっていいじゃんか、と思う。
寝て起きてやってくる朝、顔に水をつける自分、一陽来復様と、先週から鈴虫寺のお地蔵様に願い事をする自分、舌打ちをしながら通勤列車にゆらゆら揺られて会社へ行く自分、よくやってるよくやってる。
タワシの拙い文章を読んでくれてるみなはん、スゲ〜と思う。
だってタワシは誰かの文章を毎日読んでないもんね。
だから本当に有り難き幸せなのだ。
続けることが人生のなにがしかのチャンスになることに気づいたタワシではあるが、生きているということはそれだけでチャンスがくるということなのかもしれない。
明日から明後日か来年か。
それはわからないけれど。
希望は常に明日にある。
さて、また通勤列車に揺られる明日がやってくるけれど、希望をとっ捕まえるためにぐっすり眠る。
それではみなはん、また明日。
この場所で。