負け犬だと認めたのだから遠吠えは大きな声で吠えるんだ

いろいろ、いろいろひっぱってきて組み合わせて俯瞰してじっくり眺めたらタワシは世間でいう負け犬だな、と合点がいった。

それは。

社会人として、社会的に初対面で会って、渡り歩いた昔や今の、名刺みたいな人生を語る時、タワシには唾を飛ばしながら、またはインテリジェンスに、荒ぶる鼻息を隠して上品にお話しするような名前付きの物語などないからだ。

タワシと会ったところで次につながるビジネスチャンスなんて落ちていないのだ。

それはつまり社会人としてタワシは負け犬なのだ。

いや、とっくに知っていた。

次への一歩の手段として無価値だと決定づけられることは屈辱的だし、その態度に、視線に負けて、自分には価値がないように思えてくる。

しかし、ちょっと待て、タワシ。

そいつは間違いなくクソ野郎だし、タワシは今、幸せじゃないか。

競争という無限のレースのレールに乗り損ねたタワシは、要らないものを最初から持っていないという点で圧倒的に必要なものをたくさん持っているんじゃないのか?

荒削りかもしれないが、もうすぐそこに本質が見えているんじゃないのか?

今はまだちょっと詳しくわからないけれど、負け犬上等である。

人間に負け犬と名づける世界に言葉の価値などない。

遠吠え上等である。

明日も思考していようと思う。

 

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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