違和感にロックオンしつづける

グッドモーニングでオフィスにアライブしたらズボンのチャックが全開だった。

わお。

これ、よくやる。

だって聞いてちょうだい。

タワシがぽっちゃり故になのかは知らんが、ズボンを履くとき、まずホックをhookしませんか、っつう意味だ。

だってチャックがキツいでしょうよ。

ホックというゴールがキュキュッとなっててはじめてチャックはスムーズなんでしょうよ。

そういう事だからしてホックでズボンが引き締まるとそのままチャックを忘れてしまうというわけである。

待て待て待て。

タワシ。

これはイノベーションかもしれん。

ホックと、チャックの取っ手の部分を合体できません?

そんでもってホックをフックしてそのままホックがチャックになってチャックを下げるというスタイルどうだっつうもんだ。

そしたら世界の社会の窓は二度と開かないんじゃありませんかっつうもんだ。

そういう私的なイノベーションとか、些細な違和感に向き合うって自分がブレないために重要な気がしている。

「好き」ってどんどん増えてくし、増えてけば混雑して好きの根源も曖昧になってくし、そもそも好きは好きなんだから理由なんて必要ない気もするし。

いや、本当は重要だけど感覚も大事にしたいし。

いっぽう「嫌い」はおおかた変わらないというか、辿ればすぐに理由に行き着くしはっきりしてる気がするのだ。

それって「変わりようのない自分」にとても近い場所じゃないか、と。

だからこそ違和感は自分に戻る重要な扉ではないか、とそう思うのである。

日増しに便利になっていくこの世の中で、昨日の便利が今日の普通になっている。

優しさに甘えて優しさに麻痺するのと同じ速度で。

そんなバカな話があるか、と、タワシは思う。

だからこそ違和感を勘違いだと無い事にせず、引っかかった気持ちを大事に育てる。

小さな引っかかりからイノベーションも生まれる。

ホックンチャックみたいなよ。

そういう事で今夜は寝ます。

 

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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