いつもの始発に乗り、いつもの席に着こうとしたら誰かの服のどこかにタワシのイヤフォンのコードが持っていかれ、あっ、と思うや否やそのおねーたんは席に座った。
なぜかイヤフォンは座ったおねーたんのスニーカーに引っかかり、タワシはそれを回収するためにしゃがみ込む。
こんな事をしていればとっくにいつもの席は誰かに座られてしまったろう、と思いながらも確認すると席はポツンと空いていた。
なんだ、みんな優しいじゃんか、と思った。
たまたまかもしれないし、狭い車内でしゃがむタワシの後ろに無理矢理入るスペースなどなかったのかもしれない。
だが、嬉しかった。
もしかすると、ルールとは本来「これをしてはいけません」ではなく「こういう時はこうしてあげましょう」というスタイルであるべきなんじゃないだろうか、と漠然と思った。
「〜をしてはいけない」には想像するための余白がない。
一方で「こういう時は〜しょう」はバッキバキに動きが生まれる。
述語が決まってないからだ。
素敵な述語ならいいんじゃない?つうことになる。
なんつうことを想像していたらあっという間にステイション。
う〜、寒い。
早く会社に着きてぇ。
屋根と壁と暖房ってありがてぇ。
さぁて、金曜日にグッバイした人たちにおはようを言って日常のスタートだ。
おぼーたんは走り始めた。
タワシも走る。
来年を爆速したる。
それではみなはん、また明日。
この場所で。