上から読んでも下から読んでも日曜日

まとまりそうもないことをつらつらと書くのはどうかと思うが、考えてみればそんなことばかりを書いている、と思ったりもする。

金曜日にまた、幸せについて考えていた。

こんなに「幸せ」について思い巡らせてばかりなのは何故なんだろうか。

どこからを幸せと言うのかわからないし、タワシは今幸せだが、手放しで全てに満足しているわけではない。

満足かそうじゃないかを幸せのものさしにするものなのかもわからない。

つまり幸せが何なのかわからないくせに「幸せ」という二文字だか四文字だかわからないけれど、そのことに囚われ続けているのだ。

幸せという単語があるので、幸せという言葉の意味がひとつだけあるような気がしているが、本当は、先月は千葉へ、先々月は京都・奈良、その前は岐阜へ遊びに行きました。を一括りに「旅行」をしました。と言うみたいなものなのかもしれない。

楽しいもオモロイも、感動した、も、心が満たされた出来事を振り返って思い返した時に「幸せ」と簡潔に表現してだけなのかもしれない。

そういう見方をすると「幸せ」という言葉が随分と便利で大味に思えてくる。

そうなると幸せか幸せじゃないかという大雑把な言い方よりも日々細々と考え、思い、発する「ウケる」とか「かぁいい」とかのほうが味わい深くしみじみと心に染みる素敵な言葉に思えてくる。

タワシの人生をひと言で言い表せないように「幸せ」という二文字だか四文字だかわからない単語にまとめなくってよいのだ。

人生をそんなふうに略してしまうことのほうが残念なのかもしれないよ。

ま、そんなことを言いながら明日も幸せという鎖に首根っこを引っ張られているかもしれないけれど、それもまたひとつの味わい深い日々の一コマなんだろう。

 

さてと。

寝る。

 

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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