恥ずかしげを葬り、登録を懇願するのである。

くぅ〜っ。

昨日は武者震いがしましたぜ。

タワシよ、絵はどした?とわかっていたが、でも文章を書いてるじゃんか、なんつって。

まるで免罪符である。

しかしこの継続が来年、再来年と続いたとして果たして自分はがむしゃらだったのか?と問うてみれば、全然違うことくらい知っていた。

継続とは緩やかに下降線に乗りがちだし、そのくせ自負だけは強くなるんだろうよ。

それじゃあ嫌なのだ。

そういうのはもう嫌なのだ。

人生にはいろんなターンがあると思う。

その中でがむしゃらになれる時はそう長くはない。

タワシのがむしゃらは今だけである。

始めれば続けることになるし、疲れるの嫌だし。

やらない理由は山頂に寝転がり見上げる星の数ほどある。

それをぜ〜んぶゴミ袋に入れて捨てたった。

年の瀬だから。

タワシが1番キツイのはコンティニューできないことじゃあないのだ。

頑張ってんのに誰も興味を持たんじゃないか、と自分の存在価値の無さを目の当たりにする事がとてもキツイのだ。

自分の目ではなく他人の目を物差しにして、世にも恐ろしい可能性に毎日ぶち当たることが人間としての尊厳を奪っていくのだ。

少なからず多くの人がそうであるように。

だが一方で、その可能性にぶち当たり過ぎる事で他人の価値観で生きる日々をぶっ壊したいとも思っていたりする。

人生は自分のものであってほしいのに、他人に認められることでしか自分を認められないないのはえらくキツイ。

死ぬ時に、こりゃあいい人生だった、と自分で自分に言ったるために生きたいと思う。

それって超絶ムズイけど。

だがいつまでも得体の知れぬ目玉どもに心を乗っ取られてはいられない。

そんなことを思う週の始まりである。

やっと動画をショートにできた。

見やすくなった。

 

それではみなはん、また明日。

眠れない夜も眠たい夜も今日の終わりにNIGAOE Portraitで会いましょう。

登録をどうぞお忘れなく。

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