優しさとは無意識 優しいは意識

誰かが困っていることに気づいた時に、その人のためになると思うことが頭の中にパッと浮かぶ。

それを優しさという気がした。

一方でそうじゃなくとも優しい言葉をかけたり、優しい行動をとることはできるし、そういう人もいる。

それは心がけだったり努力だったりするんだと思うし、行いとして素晴らしいと思う。

ただ、優しさではないように思う。

どちらかというと「優しい」はスマートな感じで「優しさ」はうざったいに近いような。

テレビをぼうっと観ながらそんな事を考えていた。

優しさってとてもエコだよね。

2024年は「向こう側から自分自身を覗き見する」でいこうと思う。

客観的に自分の野次馬になり、無責任に自分を眺めてぷぷぷと笑ってやりたい。

きっとハードスケジュールになるだろう職場でどんだけ自分の事を面白がれるか、が自分を幸せにのし上げるための鍵になるような気がするから。

正月休みなんて下手すりゃあゴールデン・ウィークより短い時もある。

あっという間に終わり、ひょいっと日常に戻される。

そして日常は思いのほか目まぐるしいものなので考えることから逃亡しがちである。

だから今、なんとなくでも生き様を想像しておくことが重要な気がしたのだ。

正月から早速眠たいぞ。

ほらね、思いのほか結構忙しいじゃん。

明日で休みも終わる。

日常が扉の向こうでノックしている。

寝るな起きろタワシ。

 

それではみなはん、また明日。

眠れない夜も眠たい夜も今日の終わりにNIGAOE Portraitで会いましょう。

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