今日のアウトドアは食料の買い出し。
うちはもうOKサマサマなのである。
変わり映えはしないがピカイチの安さだから。
ちょっとばかし遠いし、スーパーへの買い出しは本当にメンドイなぁ、と思いながら行く。
だがこれが。
買い物を済ませ、食料を有るべき場所に仕舞うととても満足な気持ちになる。
そこでふと考えた。
この満足感をスーパーへ行くことが好きなんだ、と見誤ってはいけないな、と。
◯◯感の原因を好きだからと勘違いしていることは果たしてないのだろうか。
例えば仕事の量が半端のない日があり、終わらせなきゃいけないプレッシャーからお手洗いに行く時間も惜しんで呼吸も浅くなりながら、とにかくノンストップで作業する。
そしてなんとか終業時間内に仕事が終わった時の安心感は決して満足感でも達成感でもなく、プレッシャーからの解放感だ。
でもこの「ほっ」とした気持ちを自分は仕事が好きなんだ、と思い込んでしまうと、ストレスからくる体調不良になるなんて考えもしないだろう。
そしてこの勘違いが自分の身も心もくたくたに疲れさせるのだ。
やはり「考えること」はこれからの時代にとても重要だ。
そしてそれを平和にディスカッションする場も必要だ。
ディスカッションに慣れることが重要かもしれない。
焦らずコツコツと、納得したならやればいいのではないか、とソファーで今年の雪苺娘を味わいながら考える腹一杯のタワシの夜である。
それではみなはん、また明日。
眠れない夜も眠たい夜も今日の終わりにNIGAOE Portraitで会いましょう。
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