情報とマナビ

情報の、次から次へとやってくる波に完全に飲まれている。

手軽に入るもんだからもっともっとと感情が欲しがる。

なぜこんなに情報が欲しいんだろう。

貯まる事なく流れていくだけなのに。

知った、と思った瞬間の刹那的な快感があまりにも一瞬のものだから、本当は知識を得たいなんて思ってなくて、とにかくずーっと気持ちいいのがいいんだろう。

その類の快感で1番手軽なものが片手に収まる情報なんだろう。

この行為に意味はあるのか?

現状の過労を救う手段として意味はあるんだろう。

しかし自転車操業。

貯まらない満たされない。

いっぽうで学びは時間がかかる。

時に苦しい時間もある。

手応えや喜びがある。

だからたぶん学んだほうが幸せなんだと思う。

しかし時間がない。

誰も彼も本当に時間がない。

こういうことを思う時、どうしてもそれを国のせいにしがちなタワシ。

誰かのせいかもしれないし、自分のせいかもしれないし、誰のせいでもないのかもしれないのに。

だれかのせいならなおさらそこから抜け出さなければいけない。

死ぬ時に幸せなまま死んでいきたいのだ。

悪の権化は「比較」なのだ。

そして、比較しないことは生きることと同じくらいムズイ。

だって生きてりゃ周りは人だらけ。

比較する事でしか物事を把握できない我々が比較しないことで幸せになれるなんて人生は間違え探しの9個目くらいにムズイ。

だがやれない事はないはず。

 

ふぅあ。

それではみなはん、また明日。

眠れない夜も眠たい夜も今日の終わりにNIGAOE Portraitで会いましょう。

登録をどうぞお忘れなく。

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