『ブラック・ベア ディック・ブルーナ装丁の仕事』ZWARTE BEERTJES Book Cover Designs by Dick Brunaという分厚い本を買った。
SNSでたまたま流れてきて釘付けになったからだ。
本と人へのプレゼントに関してはお金をかけても罪悪感がないので買う時はいつも気持ちがいい。
はやく届くといいな。
49才にもなると物を増やすよりも選んで少なくしたいと思い始めている。
物を買う頻度は年々減っているし、時々思い切って物を捨ててもいる。
死ぬ時には大切なものが風呂敷一枚に収まるくらいにしていきたい。
そういう幕の閉じ方を美しいと思う。
美しさはとてつもなく個人的だと思う。
みんなが美しいという人が美しいということはわかるが、個人的にはその美しさとやらに何の魅力も感じないことが多々ある。
一般的に美しいから美しいと言うが、自分にとって何の意味もなかったりする。
そんな時、美しいという言葉を使うのが正解なのか不正解なのかはよくわからないけれどすごくわかりやすいので使うことが多々ある。
一方で、満員電車の中で咄嗟に立ち、高齢者に席を譲る人を、例えば顔やファッションは一切見ずにその空気の流れとか、身体の動きとか、素直な発声の気配だけですごく美しいと感じる。
けれどそういうことを美しいという言葉にすると分かりづらいよな、と思ったりする。
結局心で発生した感情を言葉にする時、世間になのか言葉そのものになのかわからんが忖度している気がするのだ。
その点文章を書くという行為はとても自由である。
伝わろうが伝わらなかろうが自分の感情に1番近い言葉を、伝わったらいいなという想いだけで使えるからだ。
今日も自由に書いている。
最後まで読んでくれた方に感謝している。
あざぁっす。
それではみなはん、また明日。
眠れない夜も眠たい夜も今日の終わりにNIGAOE Portraitで会いましょう。
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