全然本を読んでなくて、でも本当は本が好きなんだけど借りた本すら読まずに返すタワシにぽ氏は「本、全然好きじゃないじゃん」という。
図書館で予約して半年以上待ってやっときた「黄色い家」も結局読みそうにないからとぽ氏に貸した。
良かったから読みなよ、と早々に返されたがそれでも読まずに返却。
アウトプットに躍起になりインプットを疎かにしている。
そして枯渇し始めている。
小説を読み始めたら止まらないので、止まらない自分が全てを放り出してしまう事を恐れてもいる。
そのくせ動画は毎日観ているんだからもはや単なる言い訳である。
細かく言えば小説を読むことの方が、動画を観るより労力がいる気がする。
ストーリーに入り込むまでの作家の言いまわしとか、ストーリーに乗るまでの退屈な風景を突っ走ってしまいたくなる衝動とか、読み手が作家に試される、超えなければならない壁がある。
しかし動画は真逆で、飽きられないよう、上げ膳据え膳で編集されている気がする。
さらに読書はとても個人的、動画は講演を聴きにいく大勢のうちのひとりのような感覚がある。
それにしたってどれにしたって結局タワシは選んだ事を1番やりたいんだ。
健康診断があるというのにお菓子を食べてばかりいるのは、結果に泣くより目の前の食べる幸せを味わいたいのだ。
そう考えると、大それた夢に縛られて、こんなはずじゃないこんなはずじゃないんだ、と考えることもないのかもしれない。
暫定だとしても悩ましくだとしても思わず取らずにはいられなかった1番を手にして今があるんだから。
一般的な幸せってやつに心を乗っ取られることはないのだ。
じゃあ今を続けるか。
なんだ、なんかそれはそれで嫌だな。
そう思ったので、やっぱり少しだけがんばる。
そんな甘ちゃんなフライデーの夜である。
それではみなはん、また明日。
眠れない夜も眠たい夜も今日の終わりにNIGAOE Portraitで会いましょう。
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