今日を表現する言葉はなんだったんだっけ。
朝から外の匂いについて考えている。
春の初めの匂いだったか、嵐の匂いだったか、昔の思い出を一気に引っ張り出すようなヤバイ匂いなのか。
忘れてしまったのは年のせいなんだろうか。
とにかくざわざわする匂いだ。
一度心に仕舞われたはずの何かが、たぶん消えてなくなったわけではないそれらがどこかへ行ってしまう。
そうやって所在を見失うことが増えてきた。
それは悲しい事だろうか。
まだ自分のどこかにあるだろう思い出せなくなってしまったあれやこれやをじっくりと探す行為は、去年と大して代わり映えのしない桜と知りながらなんとなくふらふら散歩に出かけるのと似ている。
桜の下を歩いているといつかの花見を必ず思い出す。
誰かを思い出す。
そうだそうだ、忘れてしまいたくない人とは花見に行くのがいい。
そうすればもう何にもわからなくなったとしても、桜の時だけは思い出して笑えるはずだ。
あなたは桜の時に誰を思い出す?
今年の桜は誰と見たい?
オセンチーヌタワシの夜である。
それではみなはん、また明日。
眠れない夜も眠たい夜も今日の終わりにNIGAOE Portraitで会いましょう。
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