窓際のプットちゃん

例えばマグカップに牛乳を注いでいる時とか、ぐつぐつ煮えたつ鍋の中をぐるぐるかき混ぜている時、そこに集中しなくてもできてしまうので意識がほんの少し空中に浮いた感じの時にそれはよくやってくる。

いつも、小さくなんでだろうと思っているが特に掘り下げて考えたことのないふわっとした問題定義がある。

鍋の上で暇潰しをしている意識が、その浮ついた問題をいきなりひっ捕まえて走馬灯の速さで答えまで導く事がある。

しかしタワシの内臓が、肉体の重量が足かせとなって追いつけないのだ。

答えまでたどり着いた記憶だけがあるけれど答えがなんなのかはつかみ損ねてしまうのだ。

今朝もそんな事があった。

見えない世界を見る人と見ない人について、見ない人がなぜ見ないのか、の答えだったような気がする。

あぁそうだよな。

そりゃ見ないよな。

信じないはずだ。

と思った記憶だけを残して他は全て綺麗さっぱりかっさらっていくのだ。

悔しい。

とても。

けれど1度はこの頭を通り抜けていったんだからいつかは思い出すだろう。

 

今日も1日は早かった。

この調子で木曜日まで走り抜けてくれ。

眠くなる前に今日はいろいろできた。

ヨスッ。

 

それではみなはん、また明日。

眠れない夜も眠たい夜も今日の終わりにNIGAOE Portraitで会いましょう。

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