男性がベビーカーにコドモではなく荷物をたくさん乗せていた。
ははぁ。
ベビーカーにはコドモが乗っているもんだと思い込んでいたので目から鱗である。
たしかに荷物を入れて引くより押した方が楽そうだし、家にあるなら使わない手はないよな。
こんな当たり前のことすら思い込みで、ないものにしているんだから実際はどれだけ損をしているのか、と恐ろしくなった。
思い込みのフィルターは無自覚のうちにどんどん重ねているので、違和感に対して無防備じゃなければ気付けないのかもしれない。
生きていく上で無防備でいることは危険だが、違和感に、その都度新鮮な気持ちで違和感をもつのは面倒だから「嫌い」という言葉であっさり片付けてしまっているのかもしれない。
敏感に生きているとすり減らして命を削る気がするので気をつけなければならないが、あまりにも鈍感なのもだいぶん損をしているんじゃないだろうか。
バランス、一言でいうのは簡単だがこれ、とるのムズイんだよね。
だいたい偏る。
これはもう通勤の行き帰りの側道の反対側を歩いてみる、とかそういう小さなチェンジを常にやり続ける事が一筋の光になる気がするのだ。
同じ時間の同じ道は同じ人が歩いている。
反対側を歩けばいつも反対側を歩いている人とすれ違う。
自分だけが新鮮。これはしばしの優越感だったりする。
そういうことの積み重ねがいつかチャンスを掴むチャンスになるんじゃないかと密かに狙う週の折り返しの夜なのだ。
それではみなはんまた明日。
この場所で。