明日はもっと降るんだってさ。と掃除をしてくれているオバたんが言った。

自分でシーンを切り替えるのはムズイ。

それは何かいいことがあった時でも嫌なことの時も。

あまりにもいい映画を観た後や、辛いストーリーのページの後や。

そういう時人間は、現実にある、無関係にやってくる、えらく静かだったり、ただガヤガヤしてる「誰かの」世界によって切り替わって、世界が1ミリスライドしただけかもしれないそのことに救われて、生きていけているのかもしれないと思ったりする。

落ち込んでしまって、もう夕飯作るのめんどくさいし、だからと言って食べなければ、たぶんパジャマを着てから急にお腹が空くに決まってるし、じゃあ今のうちに帰り道沿いのスーパーで何か買うか、と、半ば失礼な理由といい加減な選択で手に取った牛肉コロッケをひとつだけ、レジに置いたら、全然知らないのに、しかも別に今のこの私に言わなくてもいいのに「なんかイヤな天気だね」とか言いながら外を見るレジのおばたんによって、元気を取り戻したりするのだ。

とても不思議なことだけど。

たぶん元気というものは誰かからしかもらえなくて、栄養でいう必須アミノ酸のようなものなのだ。

体内では作れないやつなのだ。

知らないうちに渡してた元気は天然だが、誰かを元気にするために用意する時はとても注意が必要だと思う。

自分の価値観は人を傷つけかねないから。

タワシは気づかず正論で人を傷つけていた。

今もそうかな。

わかんないや。

あの頃はそう言われてもわからなかった。

正論を価値観に置き換えてみて少しだけわかった気がする。

 

それではみなはんまた明日。

この場所で。

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