真っ赤なハート

フライデーチャイナタウンにメガネ屋はんから、新しいメガネも今使ってるメガネの鼻パットも届いたお!とテレフォンが入ったので取りに行く。

毎回「あんまり強くするとキツイですよ」と言われるので弱めでお願いするんだが、なんとなく弱い感じがずっとシコリのように残るので今回は一気に度数を上げた。

遠近両用でどっちもあげたのでこりゃあグッと見やすくなるぞ、とワクワクしていたのだが強すぎるし、差があり過ぎて目がクラックラ。

そして頭痛。

しかしテューズデイから仕事だし今のうちに慣らしておこうと頑張ってつけ続けている。

正しさが行方不明中である。

 

さて。

麗しい人間関係の構築は愛抜きでは語れないらしい。

ふむふむ。

「麗しい」の意味がぼやけていたのでググったがボヤけたまんまだった。

「愛」ねぇ。

いや、なんとなく超わかる。

愛って絶対見えないのよね。

感じることしかできないっつうか。

だから優しい言葉や、愛を語る時に使われがちな言葉みたいにまるっきり見えちゃってるもんだけで、愛は絶対に語れないと思っている。

し、愛は語る事がメインでは全然ないので語る事だけで満足しているならそれは誰かに向けられた言葉ではなく100%自己愛だと思う。

愛って仕方なくそれくらい重いのだ。

だから麗しい人間関係というものも軽くない。

どちらかといえば重い。

重さ抜きに愛なんて語れるもんじゃないだろ。

そうだろ。

だから巷にふわふわ浮きながら飛び交っている愛の言葉をタワシは愛だと思っていない。

よってそんなに簡単に麗しい人間関係は成立しないと思う。

博愛を否定はしないが広く平等に愛することができる人はほんのひと握りではないだろうか。

少なくともタワシには荷が重すぎて無理。

麗しい人間関係は愛なくして語れない。

その愛は容易くは語れない。

それがタワシが捉える愛。

重っ。

 

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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