楽しいってのは刹那的な感情で未来に馳せた理想の想いの瞬間で、そして振り返った時の思い出かもしれない。
楽しいがずっと続くわけないじゃない。
と今だから思う。
「総じて楽しい」を楽しいと言うなら話は別だが「楽しい」は起爆剤だがそこに努力や必要な苦労が存在しないなんてことは何となく違う気がする。
そしてなんとか毎日ブログを書けるようになったタワシはブログを書いている事を努力と苦労の枠から外さなければならない時だと気がついた。
習慣になったことは喜ばしい事だけれど成長したんだっつう事でさらに次の場所へ行きたい。
まだ何にも思いつかないけれど。
急にそんな事を思った月曜雨曇りのクーラーの下、鳥肌半袖のタワシの夕べである。
それではみなはん、また明日。
この場所で。