マザーの親戚の挨拶回りにちんまりとついてまわる。
施設に入所している親戚のおじーたんとおばーたんはコドモの頃によーくしてもらった人たちだ。
マザーを妹のように可愛がってくれたがもう90。
思い出せないかもしれないなと思っていた。
コロナが再び流行りだし、昨日からやっと透明ガラスの向こうとこちらで15分だけ面会できるとのことだった。
マスクもしているし、声も届きにくく、案の定2人とも最初は「どなたさんかね」とぽかんとしていた。
マザーも若干のショックを抱えながらマスクを外して自分が誰だかわかるか、と何度も問うていた。
マザー、そこまで求めるのは酷ってもんだよ。
しかし途中で思い出し「肥えとったけん、わからんごとなった」とオートリバースでリフレインされタワシは笑いが止まらなくなる。
その流れでタワシを見て「息子ね。」と。
そこからは「息子ね。」「娘です。」の禅問答。
高齢者の人々とのコミュニケーションにはこういう腹を抱えるサブスクがついてくるのでたまらん。
その後も薄らぼんやり覚えている親戚のうちに挨拶に行き、知らない親族の話をぼーっと聴いているだけだったが、ファミリーヒストリーに出ている気分でしんみりとなった。
どこかで繋がっている落ち着く感じ。
言葉では表現できない何とも言えない感覚。
自分のルーツを知るってとても貴重だな、と初めて感じた佐世保 day 2夜のタワシである。
それではみなはん、また明日。
この場所で。