センチメンタル・ジャーニー 2(たぶん)

明日はトキヨー・シティー・トキヨーか。べつにおセンチになっているわけではないのだけれど、他人事とは思えない土地への親しみを感じるのはやはり遺伝子のあれこれのせいだろうか。

なんだか親戚の家も居心地が良く、マザーのいないところで、また来ていいかと尋ねると喜んでくれた。

トキヨーに来る時は実家に泊まる間柄ではあったが、大人になってからは挨拶をして少し話すくらいだった。

しかし長崎空港に迎えに来てくれてどこに行くにも車を出してくれてずっと一緒に過ごしたのでたくさん話をした。

思い出話から現在のあれこれまで。

そうなると良い意味で遠慮がなくなり、リラックスできるようになった。

そうなると素直にいろいろ楽しくなった。

気ぃ使いのタワシは気を使う事こそが正義みたいな硬い思考を引っ提げて生きてきたが、どうやらそうでもないのかもしれない。

「気を使う」という事は相手に借りを作らない、とか負い目を追わないという強い思いが隠れていて、裏を返せば相手にも同じ態度を求めていたのかもしれない。

面倒なことを避けるために、面倒を負わないと言えるようにこちらも面倒をかけずにフィフティーフィフティーでいなければならなかったのだ。

それが、自由の条件だと思っていた。

しかしもしかしたら、いろいろ世話を焼いてもらって嬉しい。

世話を焼いてやってこれまた嬉しい。

そういう世界観もあるのかもしれないな、とふと思ったのだ。

マザーに世話になったので「これからひとつずつ恩返しをするったい」と言っていた。

そのひとつが今回のことなんだと思う。

なるほどな。

この恩をタワシがまた引き継いでいくのかもな。

歳をとると感じ方や考え方が変わっていくもんなんだな。

成長ってやつだといいが。

 

それではみなはんまた明日。

この場所で。

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