退屈の扉を開けると見える思考回路

退屈は味わい深いなんて言ったものだから、幸か不幸か本日タワシは退屈である。

じゃあとっととブログを書きなさいよってことなんだがそうは問屋が卸さない。

素敵な文句が浮かばないかわりに、今夜の晩御飯のサラダのレタスについて面倒くせぇなぁ、と思っている。

まず買って早々のレタスの場合、1番外側の葉っぱは使っていいのか悪いのかがわからない。

まだシャキッとしている気がするけれどフリルの部分はしなっていたりする。

フリルだけをちぎってさよならなのか1番人の手が触れただろう葉っぱ自体にさよならなのか、そういう臨機応変ていうやつが全くわからないのである。

そこで結構悩む時間がすごくすごく嫌なのだ。

レタス博士でもないタワシのゴーサインが正解だなんて到底思えないのである。

悩みは、ヘビーだろうがウルトラライトだろうが心が左右に揺れるという意味では同じで、タワシはこの心の振動によってひょうきんさを失い、舌打ちをしてしまう。

そんな自分を、ちっちぇえなぁと思いそしてそれもこれもレタスのせいだなんて思うんだから料理が進まない。

つかタワシお手製のサラダは料理ですらないかもしれない。

まぁ退屈はこのようにして人間の本質を暴き出したりするのである。

味わい深いでしょうよ。

さ、なんとか今夜も書けたのでマル。

 

それではみなはん、また明日。

この場所で。

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