今目の前に見えている世界が続いてるなんて本当に私は思っているんだろうか。
席を立ち、冷蔵庫の前まで歩き、取手に手を伸ばしながら既に自分は何のためにここまで歩いてきたのか、果たして本当に冷蔵庫を開けに来たのかわからなくなる事があるように、私の身体の中の数えきれないほどの細胞が死んでは生まれ死んでは生まれている。
席を立った私の願いは冷蔵庫の手前で死んでしまった。
細胞の死と共に私はなぜ立ち、ここまで歩いてきたのかわからなくなった。
そう考える事ができないだろうか。
だとしたならば「私」という何者かは単なる器で、たまたまもしくは争奪戦で勝ち抜いた細胞のどれかが「私という器」の中に入り込み、その中にいる時だけ「私」を主張しているんじゃないだろうか。
自分の精神が安定しないのもうまく生きていく術を知らないのも、細胞が入れ替わり立ち替わりを繰り返している新しい者だからじゃないだろうか。
眠い。
あ、今細胞が入れ替わった。
だから眠いのだ。
それではみなはん、また明日。
この場所で。