胃の調子がずっと微妙なのはサバの哀愁か。
だとするなら甘んじて受け入れよう。
アタイだってアンタが大好きだったんだよ。
さて。
昨夜仲間と話をしていて「タワシは独特な聞き上手だよね」と誉められた。
「独特」も「聞き上手」も最高級の褒め言葉なので真夜中にテンションが上がったまま下がりまてんでひた。
っつうことで本日も寝不足である。
それにしてもそんな独特な誉められ方の意味を知りたくてどういう意味かと問うてみた。
すると、寄り添う人ばかりのこの世の中で、つき離すような態度が、一歩引いたところで観ている感じが独特なのだ、と。
そう言われて自分が常々感じ、このブログでもおそらく違和感を訴えていたであろう「問答無用で寄り添う」ことを陰でちゃっかり行っていなかったことに安堵した。
タワシ的には、つき離すも一歩引くも「距離をおく」とは違うと思っている。
さらに「本心じゃないのに寄り添う」ことへのアンチテーゼとして「つき離すことでの誠意」を発見した夜でもあったのだった。
優しい言葉と優しさは別物である。
さらに、行動が伴わない優しい言葉は不誠実だと思っている。
べつに、だれもかれも優しくあれ!なんて言ってない。
思っていないなら言わないでくれ、と思っているだけなのだ。
思っていない事は、あぁ思っちゃいないんだな、と少し時間が経てば容易に察しがついてしまうから、そうなるとわざわざ無駄に傷つく事になるんだから言わないでおくれ、と、そう思っているだけなのだ。
優しさアピールが過ぎるこの時代に満足しているのはアピールをしている本人だけなのだ。
さらにアピールのし過ぎで自分の本心すらわからなくなっているんじゃないだろうか。
自分の行っているアピールの嵐に応えないタワシのような奴には不満を覚えている気がしてならない。
そういう類の人物に煙たがられている気しかしない。
お願いだから嘘くさい生ぬるい言葉でタワシの気分を落胆させないでほしいと心底願うウェンズデーのタワシナイトである。
金曜日はどこだ。
まだまだ遠いあんちくしょう。
それではみなはん、また明日。
この場所で。