タワシは、どう考えても自分は天才だとしか思えない、めでたい人間である。
そのくせ、いやそのくせなのかについては疑問が浮かぶが、自己肯定感は底なし沼のさらにどん底にかろうじて生息しているくらいに低い。
自分を買い被る能力と、自分を肯定する能力はレイヤーの上と下みたいに重なっているもんだと勝手に思っていた。
だからなぜこんなにも自分を肯定できないのか、自分を肯定できないのは辛いので肯定したくてたまらなかった。
しかしもしかしたら、もしかしたらこの2つはカボチャと白菜くらい明確に関係ないのではないかと思えてきたので書いてみる。
自分を天才だと思う力に他人は介入していない。
自分というスターを1人のファンが見つめているようなものだ。
つまりマンツーマンで成り立つ世界なのである。
一方自己肯定感に関するタワシの見解は、はもはや「自分」が介入する隙のない、他人のささいな言動のみに支配されている。
自分ではどうにもならないことだけに支配されている。
なるほど。
そんなら自己肯定感なんてビリビリに破いてそしてそこの窓から投げ捨ててしまおう、そう思ったのだ。
コントロールされたくなければコントローラーをぶっ壊して捨てちまえばいいのだ。
金輪際「自己肯定感は知りません。昨日の晩に捨てちまいました。」そう言い切って、自分を肯定していようが否定していようがそんなの関係なくニ度と口にしなければそれでいいのだ。
まぁそんなに簡単な話じゃないのだろうし、タワシはまた自己を否定するんだろうけれど、でも一度きちんと言葉にしておく事は重要な気がしている。
そして少なくとも今の気分は最高だ。
ヨスッ。
このままぐっすり寝てしまおう。
みなはんも、捨てちゃいな。
フライデーちゃいな。
すてきな響きだね。
それではみなはん、また明日。
この場所で。