流れる水と、その水をペットボトルに入れるのと

たゆたう思考は身体を巡る「気」と同じだ。

さらに「血」や「津液」とタッグを組んで「あなた」が作られている。

たゆたう、というのが重要で、どこかでキャッチした思考をあなたは、あなたの思考と勘違いするがそうじゃない。

あくまで常に身体にたゆたう思考があなたの一部なのだ。

と思う。

気、血、津液はあなたという土地に流れる川で、常にあなたの中にあるけれど、手ですくったそばから指の隙間を通って落ちていく。

だから「自分とは何ぞや」と問うた時よくわからん。

タワシが思う対話はそうやってあなたの中を巡るふわふわを一度ペットボトルに入れて自分で眺める。

誰かも眺める。

そういうもんだと思う。

あなたは「自分」であなたの存在を感じることができるし、誰かがあなたをただ眺めているのも感じる。

 

タワシはアドバイスってやつがなかなかだいぶん嫌いで、対話にはそれが全く必要ない。

対話はおしゃべりでもない。

おしゃべりは情報の交換に近い。

どこかで仕入れた面白おかしい情報の交換だと思う。

それはそれで楽しいけれど、対話とは明らかに違うのである。

タワシは対話がしたい。

知らない自分を発見したい。

誰かの本質に気づきたい。

対話ってマジで豊かな時間だから。

 

ふぅ。

エネルギーが切れた。

 

それではみなはん、また明日。

この場所で。

 

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1件のコメント

全てに激しく同感したっ

ヤス タカ

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