コドモん時からテレビっ子のタワティーヌは、実はテレビのない日常というものを知らない。
最近はもっぱら「民放を観ない」生活なだけでテレビジョンという媒体を使ってYouTubeを観たりしている。
つまり大きくて四角い画面から否応なしに意味のわかる言葉が流れてきたり、わかりやすいリアクションでストーリーが流れるのをただただぼぅっと観る生活はずっと変わっていない。
という意味。
しかし店にテレビはない。
プロジェクターはあるが真昼間は映らない。
ここまで来て小さな画面でYouTubeを観るなら帰ってソファで寝転んで観ればいいじゃん、と思うのでそれもしない。
そうすると世界がとても静かなことに気づく。
何かやるか、と思う。
手を動かし、頭を動かす。
時間と共に「自分」も移動する感覚。
小さな画面を観ていると、時間だけが目の前を通り過ぎ、自分は定点カメラになったような感覚しかないというか。
「時間」て何だろうか。
時と時の間だとすると「時」より「間」のほうが長いんだろうなと思う。
人は「時間」と言うが、指しているのは「時の間」で、だから「流れている」と思うのだ。
点から点へと移動しているわけで、たぶんそれは左から右なわけで。
しかし四角い画面を観る時だけは、動いているのは「時」だけだ。
どちらが正しいとかそういうことじゃなく、自分はどんな時間を経験したいか、を自覚しておいたほうが人生が思い通りになるのかな。
などと考えた。
あれ?
イミフですかね。
ははははは。
それではみなはん、また明日。
この場所で。